まるで熱帯 ような重だるい湿気と暑さ。
「ゲリラ豪雨」という呼び名もだいぶ市民権を得た(てしまった)何度目かの季節。
今日も朝から、1日の行動と雨雲レーダーとを見比べて、
それでも、スーパーの帰りに土砂降りに遭ってしまったり。
軒下には、ほんの気軽な気持ちでランチを買い出しに来たであろうオフィス勤めの方々が、お財布とお惣菜とを手に手に、雨宿り・・・
「雨宿り」なんて、しっぽりしたものでも、もはやなくって。
天候の変化は、情緒の変化も促すのか。
いっそ、のんびり、雨が降ったなら降ったて、濡れたなら濡れたで、
まぁいいやとやり過ごせる風潮や気持ちにまで、変われたならいいのだけれど。
気候変動のスピードに、
気持ちも文化も追いつかない。
文明の力(雨雲レーダーが瞬時に見られるスマートフォン)をまだ手にしていない小学生のぼっちゃんが、
奇跡的に雨の合間に学校(休みの間の学童機能的な)から帰ってきて、
文明の力により次の豪雨予測を知り、
ものの5分でおやつを食べて、
水筒にお茶を満タンにして、長靴を履いて長傘を持ち、
玄関から元気に児童館へ出発!
予報によれば、15分以内にまた強い雨…
だったのが、
彼が出発して2-3分後には、降り出した。
どれほどの道のりを進めていたかな?
あまり濡れずに済んだかな?
こんな類の心配は
新たな時代の心配で
新たな時代をそれぞれの世代でどう生きていくのか
心配は尽きない。
蝉は変わらず鳴いていて
原爆が落ちたその日にも、その場所に、
遊びたい子どもや
子どもを心配する親が 送り出した親が、
いたんだろうなと手を合わせます。