広告のこと。

449 views
ブログエントリー

わたしのアンビバレントさのひとつ、
「広告って嫌い、だけど、好きだな」
と思うこと。

資本主義に対する暗澹たる気持ちや
「うわべ」に対する醒めた気持ちがあって、
それなのに、広告好きってヘンだな、っていう自覚。

雑音 騒音 景観破壊…などなど
「鬱陶しいなぁ、この煽り…」と5秒のスキップ待ちに苛立つこともままあるのですが、
アートを楽しむように広告を楽しむということもまた好きだったりするのでややこしい。

まぁ好きなものは好き、で、いっか。
好きに理由付はない。

海外旅行でも、現地の広告を見るのが一つの楽しみだったり。

駅貼りのポスター、エスカレーターの壁一面のグラフィック、電車の中吊り。
宿泊先のテレビをつけっぱなしにして、テレビコマーシャルを眺める。

なんだろうな。

ウィットの効いた「ライフとドラマ」を短時間にきゅっと凝縮して感じられるのが、
楽しいんだろうな。

生活の中で突然出会うアートに(正確には、「仕掛けられた出会い」なのですが)、
心ときめく。
そんな瞬間が、楽しいんだろうな。

さて、なんで今さらこんなことに思いがめぐっているかというと、
この中秋の名月に向けしばらくの間、自分のTwitterなどのタイムライン上で
マックの「月見バーガ」ーの動画広告がたくさん流れてきていたのです。

ある日、PCを開いてコツコツ作業をしていた途中、
思わず見ちゃって、泣いちゃったよ、わたしは。

(そして、例によってわたしは月見バーガーを購入しない…けど、わたしはそもそもメインターゲットではないのだろうから、広告の名誉的にはなんの問題もないはずだ。)

ちょっとお父さんに電話してみよう!
…となるにはハードルかなり高めだけれど、
ああ、秋だな、といった季節を感じたりだとか。
そっか、お月見か、いつだっけ?
お団子準備しなくちゃだな、とか。

自分の幼少期のお月見の記憶…
ここ数年、自分の子どもたちと過ごしてきたお月見の思い出…

わたしの脳内は一瞬でトリップする。

以前でいえばテレビコマーシャル、
現在の動画広告に関して言えば、
短編映画を観るような楽しみがある。

映画よりも、カジュアルに。さりげなく。
より、現実的なかたちで。

主たる出会いの場がネット上に移行して、
広告としては、
その生活にすっと入り込んでくる感じが、ますます顕著になったと思う。

気に入ったものは何度も(自主的に)観ることができるようにもなった。

日々の生活のちょっとした娯楽感。

「広告では物は売れない」と言われて久しく、
費用対効果なるものを数字で説明しないとならないビジネスの現場において「広告」の肩身は割と狭い。

特に、わたしに短編映画を観るような楽しみを与えてくれている部類の広告(ブランド広告)については。

同じ予算があれば、より売上に直結しやすいプロモーション活動に使うだろうし、
より戦略的なPR活動に使うだろう。

その方が、リーズナブルだから。

そんなわけで最近はあんまり、
楽しめる、記憶に残る、
そういった広告に、あんまり出会わない気もする。
(わたしがいろんな商品のターゲットから外れている…可能性も考慮する余地はあるけれど!)

でも、どうだろう。

なんかつまんないな。

なんでつまんないかな?

それで、最近、やたらと気になる「ウェルビーイング(よく生きる、自分らしくある、幸福である、豊かである…)」を、企業体に当てはめてみた。

企業体としてのウェルビーイングを考えた時に、
数字を突き詰める、今、形になるものを徹底的に積み上げる部分と、
感性を解放し、社会とつながり、ダイナミックな視座から今を見る部分とが
バランスよくあることが理想だとしたら、
どっちも大事なんじゃないだろうか。

やらなければならないこと、「いま、身になること」ばかりを考えて、
やりたいこと、気になること、「(短期的な)結果や評価から自由になること」を放置してしまっては、
まるで目の前のタスクに追われてしんどくなってしまう個人のライフのように
企業もきっと硬直していくのでは?

なんてことを思ってみたりした。

一つの企業における事業部ごとの役割の違いにも見られるバランスかもしれないし、
「広告」だけを取り上げてみても、施策ごとに役割は違う(ブランディング、宣伝、販促、という括りの違いもあるし、「場」や「方法」などの違いもある)、そのバランスかもしれない。

企業が、生き生きと呼吸している感じは、
社会が、生き生きと呼吸している感じにも、
つながるんじゃないのかなぁ。

遊びの部分。遊ばせる部分。

今、目に見えなくても、内にも、外にも、何かしら与えているものがあるもの。
例えば、誇りや勇気、気づき。

そういうものが少なくなっていて、
会社も社会も、つまらない。
ちょっと息苦しい。んじゃないのだろうか。

なんてことを思ってみたりした。

とはいえ、

実際にビジネス・商売をやっている立場からは、
なかなか厳しいところはあるのだと理解はしております。

そうなるとつまり、わたしが言いたいことはなんなのか!というと!

自分たちの商品、サービス、アイデア、ブランド。
そういったもので積極的に「遊んで」いらっしゃる企業や組織やチームのみなさんに、
いち広告好きな生活者として、
「楽しませてくれてどうもありがとうございます」
っていう、感謝と、
「これからもよろしくお願いいたします」
っていう、お願い、
を伝えたいってことだったりします。

楽しめる、記憶に残る。
誇りや勇気、気づきを与えてくれる。

そういう広告は、
ある意味「文化活動」「文化事業」として、
「それとして」やっていなくても、それらが果たすような役割に近いものを担っている部分もあるのではないでしょうか。

グラフィックや映像や、
そういった産業、制作に携わる才能を守り育てるという面においても、きっと!

何か一つのテーマがあって。

そのテーマには、きっと思いや願いが込められていて、
その思いをなんとかして伝えようと思い立った人たちと、制作した人たちの、
完成させた時、世に送り出したときの大きな喜びと、
それを受け取ったわたしのささやかな震えと。

甘い感情、苦い感情。

そんなさまざまな「生きている感情」の循環もまた、生活に密着している広告がもつエネルギー。

時代とともに変わりゆく経済と社会のシステムとわたしの暮らしと広告と、
その理想と現実とを行き来するように、
わたしも自分の理想と現実と、
広告への好きと嫌いのねじれた気持ちとを行き来して、ウォッチャーしていくんだと思う。

関連記事

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

CAPTCHA