プロフィル写真について思うこと。

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プロフィル写真っていつどのタイミングで更新するのが、いいんだろう?
いやいや、プロフィル写真ってそもそも、なんだ?


というのをかれこれ1年くらい考え続けて、
かれこれ5年くらい前に設定したやつを方々で使い続けている。

あ、10年前のやつも使っているアカウントがあるような…

実感値的には周囲でSNSなどのプロフィル写真をそう頻繁に替えている人はあまり見かけない(ので、アイコンを一目見ただけで「誰の投稿だ」ってわかる)。

なんでそんなことを考え続けているのかというと
とあるコミュニケーションアプリだけでやりとりをしていた人と初めてリアルにお会いした際、
「わ、思ってたのとお顔の印象違いますね」と言われて、
「ん?それどういうことかな?」という「もやっ」を持ったことがきっかけなのだけれど…

わたしが各所で使っているプロフィル写真は、現在、横顔である。

正面切って顔出しするのはちょっと恥ずかしいという気持ちと
せめて横顔出すことでわたしだと認識しやすくなればという気持ちと
まぁそんなめんどくさい気持ちの落とし所としての横顔である。

が、もちろんリアルにお会いする際には、
横顔で対面(「対面」っていうのが字面的にそもそも横顔を想定していないのか!)ということは稀で、
正面切ってご挨拶したりおしゃべりしたりするわけで、
まぁそりゃあ印象も変わるよな、と。
(横顔プロフィルの著名人といえば「正岡子規」しか思い浮かばないけれど、確かに彼の正面向きの顔の様子というのは想像したことがない。実際には正面の写真も残っているらしいけれど!)


しばらくしてから、「印象違いますね」の意図するところが、
横顔か正面かの違いから来るものなんじゃないか、と思い至り、
そりゃあそうだ、と納得したものの、言われたその瞬間に反射的に思い浮かんだのは、
「も、もしかして、プロフィル写真は若いのに、現実そんな若くないですよねとかそういうこと!?」


確かに、あの写真は30代のわたし。
今のわたしは40代。
アンケートの際にチェックを入れる欄が明確に異なるラインにあるわたしたちなのだから、「違うでしょー」と突っ込まれても致し方ないのか??とか、そういうことだった。

このとき、わたしは無自覚に、
プロフィル写真=なるべく現実の自分に近いものが好ましいのだろう
と認識していたのだと思う。

というわけで、それ以来、人のプロフィル写真が気になってしかたがなくなった。

病院のHPに載っているドクターのプロフィル写真。
オーケストラの指揮者のプロフィル写真。
講演会の講師のプロフィル写真。
作家のプロフィル写真。
会社の役員のプロフィル写真。
…などなど。

そうしてわかったのは、大体において、プロフィル写真とリアルやナウは違っているということだ。
つまり、プロフィル写真の方が、若い。
しかも、大御所の場合などは、「ええと、誰でしょうか?」というくらいにだいぶ違っていることも(若いことも)少なくない。

そりゃあ、人間は、1分、1時間、1日、1ヶ月、1年…と歳を重ねていく以上、
いつか掲載したプロフィル写真は、誰だって、リアルやナウよりは確実に若いわけだけれど…

となると、よりリアリティを持たせるためには、
プロフィル写真は、毎日更新するのがベストなのだろうか?
いやせめて毎誕生日には更新しようよとか、そういうことなのかな。

そのときふと思い浮かべたのは遺影のこと。

わたしのおじいちゃんの遺影…
亡くなったのが急だったから「ちゃんとした」服を着て正面を向いているのが親戚の結婚式での写真しかなく、だいぶ若い時の写真が使われているんだよな、と。

わたしの祖父母の世代なんかは、
頻繁に写真を撮ることも、生前に遺影を準備しておこうなんて考えもなかっただろうし、
そういうケースが結構あるのではないかと思う。


こういう時、優先されるのは、「晩年」(またはそれに近い時期)であるかどうかということよりも
「きちんとしている(美しい)」ことであったりもする。


それで、実際に亡くなった時から、10年以上若い時の写真が使われていたりもする。

今、「終活」の時代に、遺影はどうやって決めるんだろう。
毎年、撮影するのだろうか。何年かおきに?
それとも、一度、何かのタイミングで、自分で「これ」と決めた写真を選んでおくのか。

…遺影はちょっと飛躍したかもしれないけれど…

となると、となると。

プロフィル写真の目的は何たるや。
何を達成するためのツールなのか。

プロフィル写真=その人をそれと認識できる(認識してもらうための)顔写真だから、
リアリティの反映が必要なのでは?
と、なんとなく思っていたけれど(その割に横顔載せちゃってるわけだけど)、
どうやら、落ち着いて考えてみると、そういうわけでもないようだ。

例えば、「自分がそうと認識されたい自分」とか。
「自分がいちばん自分らしいと感じる顔写真」とか。

もちろん、Web上について、
情報管理の観点から写真を載せていなかったり、
逆に適当な写真を設定している人も多いだろうとは思うけれど、
プロフィル写真から、その人のそれに持たせている機能やメッセージがわかるってことも、ありそうだ。

だいぶ若い時の写真を載せている人について
それは「更新されていない」んじゃなくて
(意図的に)「更新していない」こともあるのかもしれないとか。

いやもうそういうのを一切考えるのも考えられるのも面倒だから
アバターがいいかなっとなるのも、また、ありのような。
(アバターにはいちいちの身体的変化は反映されずともよい。)

…遺影がアバターになる日もくるのだろうか…

「いや、わたしはわたしの今を表明したいので、毎日プロフィル写真を更新いたします!」
というのも、試みとしては面白そうだなと思ってみたりもしたけれど、
実際、InstagramとかSnapchatとかで毎日セルフィーをアップしている人は、
自然にそういうことしているわけだ。

そうなってくると、いわゆる「プロフィル写真」は、
もはや、なんでもいい(それでペットとかお花とかそういうのを載せている人も多いのかもしれない)。

むしろ、どうでもいい。

…と、プロフィル写真についてこねくり回して考え続けてみたところで…


自分のプロフィル写真を、さてじゃあどうしよう?

結局は、サービスやアプリや、それぞれの用途によってプロフィル写真の目的も異なるわけで、
それぞれに使い分けるのがよいですね、ということでしょうか!


と、とりあえず「わたしのリアル」が伝わった方がよさそう(伝えた方がよさそう、伝えたい)なものについては、しばらくぶりに更新することにしました。

これから、どんな頻度でタイミングで替えようか、というのは、引き続き思案。

この「プロフィル写真を替える」アクション(2〜3タップ)に、
1年の思考の時を経たとすると…

わたしも大概、スローライフだと思う。

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