あ!
という間に子どもは成長するもので、末息子のぼうやもあと今月3歳です。
たぶんそんなぼうやの2歳最後の音声。
(出先でiPhone作業中。いつもweb版のanchorダッシュボードから出せる埋め込み用カードがanchorアプリから出せず…もとい、出し方わからず、…取り急ぎリンクで!後日埋め込みに修正します。)
いつまで経っても、子どもがお腹にいた時や、生まれてやわやわしていた季節、その香り、風景は鮮明で。
例えば11月生まれの彼の場合、直前までウールの羽織物で出歩いていて、近所の和菓子屋さんで柚子餅が出ていて、お天気の悪い日が続いていて。。。
出産直前に食べたものとか、考えていたこととか。
出産して、退院したら、もうすっかり冬になっていた感じとか。
お兄ちゃんについても同様に覚えているから、これはいつまで覚えているものなのだろうか。
ずっとずっと忘れないものなのか。
自分の母親も、
彼の母親も、
そうなのだろうか。
そう思うと、親に対しては気恥ずかしくもあり。
拠り所のようでもあり。
親と子と、生命をめぐるつながりは、変化する世の中で、ずっとずっと変わらずに来たものだと思うと(もちろんその始まりや産み出され方、というものは様々に進化してきたのだけれど)、なんだかすごく自分が小さくなった気がするし、隣の人も小さく見えるし、大人も子どもも変わらず見えるし、どんな人だって違うけれど違わない、そんな気がしてくる。
ラブとピースの源泉がそこにあると信じたくなる。
時々思い出したくなる。
とまぁ、
そんな、母さんであり娘であるわたしの感傷はさておき、ぼうや!お誕生日おめでとう!!
すくすく、宇宙から来たままの魅力をあたためて、育ってください。
ママはそれを受け止められるように、精進します。
それが何よりの課題だ!