もう10年近く、ほぼショートカットで過ごしている。
結婚式のために伸ばしていた髪を
新婚旅行から帰ってきて美容院直行!くらいな勢いでカットして以来、ロングヘアはご無沙汰である。
それで、2ヶ月に1回くらいの頻度で行きつけの美容師さんにカットしていただいているのだけれど、
直近のアポを控えて数日、急に、「なんか久々に髪を伸ばしてみたいかもしれない」という気分になった。
なんのことはない、
韓国ドラマ『その年、私たちは』
のキム・ダミちゃんを観ていて、
おお、あの梨泰院のパッツンが、こうなったのか!
かわいいじゃないか!
ロングも似合うじゃないか!
…わたしも…
このパッツンきのこヘア(ここ1年近くはきのこだった)からロングヘアに挑戦してみるのも…
ありや、なしや?
となった、という、
至極単純な回路。
(余談ですが、最近の「すっきり顔」系韓国女優さんのご活躍は、すっきり顔系でくっきり顔系が美的主流なJapanにおいては「陽の当たる道」ではない方を歩いてきた私にも大変な勇気と元気を与えてくださっております。いや、それは顔でだけでなく全身的なスタイルやバランスの話なのだ、というのはさておき…。)
そして、ふと、「髪 × 時」のことを、思う。
過去10年(30代)はほとんどショートで過ごしたわけだけれど、
向こう10年(40代…突入してもう2年になりますが)はどうしていこうかしら。
50代になったら、どう?60代は?
ヘアスタイルに関する未来予想図としては
いきなり70代くらいからの自分は、結構想像していたりする。
やっぱりショートで、
もし白髪ならばそのまま、
いわゆるグレーヘア、
或いは、メッシュとか、好きなや流行りの色を入れるとか、そういうのもいいな。
そこそこ毛量があればベリーショートもいいね。
いや、わっさーとパーマをかけてもしゃもしゃも素敵かもしれない。
ウィッグつけてるかな。
友だちと、どこのがつけ心地がいいかなんて明るく情報交換してるだろうか。
さらにそのあとは、
自分での手入れの楽さや介護(されること)を考えると、短い方がいいんだろうか…
など。
でも、ふと、
その間、
今からそういった時期に行き着くまでのイメージもプランも、
まったくない!
思えば
仕事のことや結婚のこと、出産や家庭のこと、も、
大体そんな感じで
30代に至るまでやしばらくの間は、それなりの目的意識があった。
それが、30代後半になって、
急に、
人生の目的って、一体?
となって立ち止まってしまって
立ち止まったまま今に至るわけで。
ヘアスタイルについても同様の節があり(仕事柄ショートヘアでハツラツしてたい、とか、結婚式でまとめ髪にしたい、とか、乳幼児のいる暮らしだと短い方が楽でいい、とか)、
その時々で、その時々の状況や気分に応じてあれこれ選択していたけれど、
果たして、そういう「イベント的要因」がなくなった今、
わたしはどうしたいんだっけ?何がしたいんだっけ?どうありたいんだっけ?
人生と同じくらい、大海に放り出された気分・・・!
ヘアスタイルについて
大局的に考えたこと、なかったな。
どんなヘアスタイルでこの先生きて、一生を終えていくのか、
という長期的視点の欠如。
髪型で、どんなこと、したい?
髪型で、どんなふうに、ありたい?
今したいこと、今できること、なんだろう?
と思った時に、
私にとっては、40代、ロングにする最後のチャンスかもしれない!
と思ってしまった。
「好きだった服が、次のシーズンには突然似合わない気がして、着られなくなってしまった時のような寂しい気持ち。」
が、ヘアスタイルにあるとすれば、
なんだかつやっとしたロングヘアというのが、わたしにとってのそれかもしれないな、と。
もちろん、
若い時分からずっとロングヘアで通していらっしゃる方も多くおられるだろうから、
そういう人にとっては「なんのこっちゃ?」な話かもしれないけれど、
わたしにとってロングヘアは、
…結構ハードルが、高い!
たぶん、
自分の中でのロングヘアに対するイメージ
(ゴージャスな感じ、きれい系・お姉さん系…など)
と、
自分に対する認識が一致しないので、
不安なのだと思う。
あとは
老けて見えないかな?とか
貧相に見えないかな?とか(ボリュームのないストレートヘアなので、なんていうか…)
そんなわたしの心を刺激するように、
Google先生の検索窓に
「40代」「ロングヘア」
と入れただけで、
「痛い」
「汚い」
というワードが提案されてくる…
誰に言われる筋合いも、ないはずですが、
検索している人が、他にもいるんでしょう。
詮索したい人が、いろいろいるんでしょう。
確かに、
ホルモンバランスの変化や、それによる毛量や毛質の変化、
そして、顔や身体の変化は、誰しもに訪れるものです。
その時々の状況で、
「こっちの方がいい」
「こっちの方が問題によりうまく対処できる」
ということは確かにあるでしょう。
それに、
「美しさ」はさておき
「清潔感」みたいなものは、
社会で生きていく以上、
自分だけがよければいい…というものでも、ない。
一緒にいる人が「いいね」「すてきだね」といってくれたら
それは自分にも跳ね返る。
そうやって、
自分がいて他人がいて
やっぱり自分がいる。
「〜の方が論理的にはいい」ことも
「〜の方が気分的にはしっくりくる」こともある。
その行ったり来たりの思考をしたうえで
どういうヘアスタイルでいると、
よりよい心地でいられるのか。
うきうきするか。
意識をもって
企てて
それを頭に携えて。
「髪は女の命」と昔の人はよく言ったようですが
女とか男とかそういうことはさておいて
人生のストーリーが宿っていく、ということでは
確かに命(一生)という言い方はできるのかもしれない。
(オリジナルの意味は、モテとかそういうところにあるのでしょうけれど。)
その時代ごとの
自分の価値観、思いや憧れや、悩みや、止むを得ない事情や状況や、
そういったものが反映されて、
その時々のヘアスタイルを携えて
私は生きてきた。
人生後半戦、
ヘアスタイルについて
悩みや止むを得ない状況が反映されがちなところを
なんか憧れにちょっと引き戻してみようかなという
いたずらごころにも、似た感じで!
いたずらごころを自分自身に発動するのは
結局のところ、一番楽しいことなのかもしれません。
近々、次のメンテナンス(美容院)アポイントが入っています。
心変わりせず、伸ばす方向で、相談できるかな?
やっぱり気持ちが、変わるかな?
何にせよ。
自分にうきうき、してみよう。
日々そこにあるもの、
今の自分がもっているもの、
ささやかなことに楽しみを見出そう。
<メモ>
このブログをドラフトしたのは、2月。
前回の美容院から帰ってすぐのことでした。
そんな矢先、かの戦争が始まってしまって…
ヘアスタイルのことを考えている自分と、戦争の起こっている状況との、あまりの解離に、書き終える意欲がなくなってしまい、放置していました。
それから2ヶ月が経とうとしています。
戦争は終わらず、
わたしの髪は伸び、
また美容院に行く日が近づいてきています。
わたしの日常は、今のところ、平穏です。
そのことに後ろめたさ、不自然さ、不思議さ、を感じ、
一方で不安や恐怖も感じています。
それでも日常は続きます。
少なくとも
わたしのいる小さな世界の日常を愛し、大切にすることは、
放棄しないでおこう。
くだらないことに溢れた日常を
意識すること。
できる努力を続けること。
そんな気持ちを持ち直したところです。
結局はすべて人間の行いなのです。
一人ひとりの人間の。
小さなことに喜びや慈しみを感じること、
そのことを忘れないことも
いつか大きな対抗力になるはず。