いち&ママちゃんのどきとき会話日記 #72-8歳&3歳男子ズ、それぞれの4月1日。

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ぬぼーっとしている大人(わたし)にとって
4月1日や4月のはじめ、というのは「この雨風で、桜、散っちゃわないかな(ハラハラ)」くらいが、
ハラハラのせいぜい7割くらいを占める問題ですが
学校に通う子どもたちや
新生活を始めたり
新社会人になったりする若者たちにとっては
もう本当にドキドキとワクワクがごちゃ混ぜになって
心身ともにストレスフルな
美しくも切なく、厳しい季節ですよね。

そう思うと

美しさとは
切なさや厳しさがなくては
そこに感じられないもの
という側面があるのだなと
ひしひし。

ぬぼーっとしている大人(わたし)には
美しさがなくなっていってしかるべきなのであります。

く…

我が家の子どもたちも
進級(クラス替え)や転園、それぞれに大きな環境の変化を迎え、
それぞれに適応しようと
不安や期待を持っている姿が…
健気です。

幼稚園時代、春になるとおそらく過度のストレスから「自家中毒」になっていた母親(わたし)ともまた違ったたくましさで、
嫌だと言ってみたり、
行きたくないと言ってみたりしながらも、
果敢に突っ込んでいる姿が…
健気ですね。

今回、3歳のぼうやが
0歳から通っていた保育園から転園をすることになり、
また幼稚園に転園したり、お引っ越しをするお友だちもいたり、
さらには当時からずっと担任をしてくださっていた先生が別の保育園へ異動するというので
園内で「お別れ会」が開かれたそうなのです。

子どもたち一人一人に、
写真や、先生方からのメッセージが詰まったアルバムが贈られて
我が家のぼうやもそれを持ち帰ってきたのですが…

家で、アルバムをひろげながら、
わたしがその先生方からのメッセージを読み上げると、
突然、ぼうやが大泣きを始めて…

写真を見ながら、
先生方の文字を眺めながら(まだ、読めないから)、
「せんせいたちがだいすきだったのー」
「ほいくえんがすきだったのー」
と、大号泣。嗚咽。

そうして、「泣く」とわかっているのに、
何度も何度も、メッセージを読み上げてくれ、とわたしに頼むのです。

1時間以上は、その状態が続いたでしょうか。

そのメッセージは
ぼうやの、いいところ・すてきなところが、たくさんたくさん綴られていて
紛れもなく「愛」に満ちた、「ポジティブ」なエネルギーに満ちた、
言葉たち。

愛すれば
愛される

愛されると
愛する

その自然な循環を見て

愛する
愛される

自分が大切な存在であり
相手が大切な存在であり

そういった感情や認識は、
3歳になったばかりのちいさな人間にもはっきりと芽生え、根づき、
そして表現されるものである、ということを、
思い知らされた出来事でした。

ちいさな人間を
ただのかわいい人、であったり、
無知の人である、といったように
甘くて見てはいけなくて
身体はちいさくても
いわゆる知識はなくとも
そのちいさな中にいっぱいに詰め込んでいるのは
わたしたちが死ぬまで大切にしなくてはならない
心の
人間の
存在の
真実ばかりだということ。

教える、んじゃなくて
指導する、んじゃなくて、
ちいさなころから 死ぬときまで
わたしたちはつながっているのだから
ただその時間に前後があるだけで
大切なものは、ずっと、一筋、つながっている。

むしろおおきくなっていく人は
余計な情報 余計な算段 余計な知識で
その大切なものが
腹の中で、
埋もれて、薄まってしまっているのではないのかい?

まるで希望もないほどに。

ちいさな子どもたちへの愛おしさが増し
そして敬う気持ちを静かに思い起こす
春なのでありました。

【6分】

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