童謡(子どもの歌)には、
ずーっとずーっと昔から歌い継がれているものがある。
そこに描かれている
子どもらしい感性とか
親と子の関係的なものだとか
そういうものは
何十年、何百年経っても、変わらない…ものもある。
最近、3歳のぼうやは
保育園で習ってきた「春がきた」がお気に入りで
家でも道端でもよくよく歌っているのだけど、
なんとこの歌、1910年(明治43年)に発表された唱歌とのこと。
1910年…
の子どもの暮らし、家族の生活を想像はできないけれど
春がきた、という喜びは、
変わらず受け継いでいます。
ただし
ぼうやの歌唱を阻むもの・・・
それは
♪
春が来た 春が来た どこに来た。
山に来た 里に来た、
野にも来た。
花がさく 花がさく どこにさく。
山にさく 里にさく、
野にもさく。
鳥がなく 鳥がなく どこでなく。
山で鳴く 里で鳴く、
野でも鳴く。
の
「山」や「里」、「野」が、
一体なんなのか、が、よくわからないことである。
ぎりぎり、「山」はわかるかな。
「里」は、音がはっきりしているから言えるかな。
…「野」は??
という感じで、
歌っていても、歌詞があやふやになってしまう。
都会で生まれ、都会で3年育っている彼にとって
山や里や野、というのは、
絵本に出てくる世界であって(そして描かれていたとしてあまり認識していないかもしれない)、
現実味がない。
説明しても、まだよくわからないし、
わたしも…説明できない。
こんな時、
パッと、連れ出してあげられたらいいなと思うのだけれど…
人生はこれからだから
山も里も野も、これから触れる機会はたくさんあると思うけれど…
そういう風景が
失われ続けてきた、
ポジティブに言うならば
変化し続けてきた、
んだな。
ぼうやの無垢な歌声を聴きながら
そんなことを思い
そんな風景を思う。
いいとかわるいとかではない
ただ、
さびしさのような、
こぼれおちそうなものを
どうやったら掬うことができるのだろうかと
思うのです。
子育てという
おそらくこれは
何十年も 何百年も 何千年も変わらない時間を過ごしながら。
【6分】