え、もう4月!
嘘をつくのも忘れたまま、3日目!
といいつつ、エイプリルフールに洒落た嘘なんかついたこと、これまで一度もない、なぁ。
そんなもんだ。
例えばTwitterをのぞいて
洒落た人たちの面白い嘘を探すなんてこともせずに慌ただしく過ぎてしまった。
何をしていたかな、1日?
ああ、土曜日は、
息子の付き添いごとで、街中に出掛けたのでありました。
「保護者の方はここまでですー」と言われて
「1時間後にお迎えに来てくださいー」とあっさりさようならで、
周辺には私のような母や父がもぞもぞと。
「人生の圧倒的脇役感」
って言葉が、ぱーっと頭の中を駆け巡った瞬間。
そう、「保護者の方」。
圧倒的脇役感。
最近では漫画を読んでいても、
時々出てくる「親」という存在の方がむしろ気になるしな。
親のキャラクターや対応や態度がどう描かれているのかとか(娘や息子の恋愛や進学、生き方の悩みにどう関わっているのかとか)。
少なくとも、
映画『チャーリーとチョコレート工場』に出てくる、嫌な感じの付き添いの親にはなりたくない(そう見られたくない)という自制心のもと、
執着のないようにバイバイと手を振って、そそくさとカフェ探しへ・・・
いや、私だって読みたい本あるし、
自由な時間にやりたいこと、いっぱいあるよ?
毎日毎日、どうやって生きていこうか、考えてるよ?
と、圧倒的脇役感を感じる中で
ふわふわと自分を取り戻してみたり…。
だけどまぁ
わたしの主役感ももちろん大事だけど
質感はやっぱり異なるんだよなと
その主役感は、
ちいさな子どもたちやティーンや20代とかが持つそれとは違って然るべきなんだろうという気持ちもあって
それがなんなのかはわからないけど
わかったら毎日目の前にあるなんとなくのモヤモヤが晴れるような気がする。
ということはわかっている気がする。
読みたい本を片手において、
お迎えまでの1時間は、そんなことを考えてあっという間に終わってしまって
読みたい本は読めないまま、保護者タイム再び…。