いち&ママちゃんのどきとき会話日記 #89-しつもんブック100 No.14 ひっこしするならどんないえがいい?

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我が家、年明けにお引っ越しをして、
それはもう、信じられないくらいにバッタバタの年末年始を過ごし…

気づいたら、春が来ていた。

自分のことに手一杯で、
なかなか子どもたちのことを気遣うこともできず…

時間さえあれば、荷造り荷解き整理整頓掃除掃除…(といって、転居から3ヶ月、まだ引っ越し屋さんの段ボールがその辺に残っている)。

そんなこんなで、「ラジオ、やろう!」という時間もなくここまで来てしまいましたが
ぼっちゃんの春休み、少しの時間を見つけて、しつもんブックを開いてみることに。

話題は、まさかのタイムリー、お引っ越しの話。

が。

久しぶりに、ただ子どもと、業務連絡的でない話ができる時間(しかも仕事の休憩的な時間)とあって、
わたしのテンション上がりまくり(というか、テンション乱れまくりというのか)
ぼっちゃんの話を聞くというよりは、ぼっちゃんに甘えてわたしがしゃべりまくってしまった・・・という、オチ。

とてもとても反省・・・

そう、息子はわたしに甘えているけれど、
なんだかんだ、わたしも息子に甘えているのだ。

何を話しても、許される感じ。

どんなことをしても、許される感じ。

そんなのって、なんか他の誰の関係性にも、ないような、気がする(オットとの関係に、多少あるような気もするけれど、子どもに甘えられる感じとはまた違うもののような、気がする)。

そう思えば思うほどに、
子どもというのは稀有な存在で、
ただわたしをありのままで受け入れてくれる人がこの世界にいる、というのは、なんとありがたいことなのでしょう。

ただわたしを肯定してくれるのは、例えば母親だってそうなのだけど、
母親は、それでもわたしのあれやこれやに口を出してくる時期もあったわけで(だいぶ少なかったとは思うけど)、
あるいは、わたしが母親の存在を気にして、やること、やらないこと、振る舞いに影響していることがあったとして、
ちょっとしたトレードオフのようなものがそこにはあったように思う。

母は年老いて、わたしも歳を重ねて、その関係性も大きく変化してきた部分はあるけれど。


一方の我が子は、
わたしにあれやこれや口を出してはこない(今のところ)。

わたしが子どもの存在を気にして、自分の振る舞いに影響していることも…あんまりない気がする。

だけど、ただわたしの存在を受け入れてくれる、肯定してくれている!とすれば?
こんなギフトはこれまでの人生で受け取ったことのないものにちがいない!

ただ、ありのままの存在を受け入れよう、というようなことは、
よく子育ての中で、親→子どもの関係性に言われることだけれど、親→子の時には、とはいえ、実践的に難しいことはあったりする。

たとえ、このうえなく愛していたとしても、子どものやることなすことに対して、
「こうしてほしい」「こうすべき」「もっとこうだったら…」といった考えが、浮かんでこないわけじゃない。
考えているだけでなく、つい本人に言ってしまったりもするわけで。
必要最低限のこと(社会的なルールやマナー)だとしても、なんだかんだ、「ありのままを受け入れがたい場面や局面」というのは出てきてしまう。

子どもは…
そんなこと、ないんだなぁ。
全面的に、受け入れてくれるんだなぁ。

こんな、わたしを。

ということを
わたしが一方的にしゃべっている恥ずかしいラジオを聴きながら
自覚してしまった。

とはいえ、
わたしと彼との関係も、
わたしが年老いるごとに、彼が歳を重ねるごとに変わっていって、
あれこれ戸惑ったり寂しく思ったりするんだろう、とも、思う。


甘えられる時を楽しみ

人生でこんなに誰かに甘えられる時がくるなんて、思ってなかった。

ありがとう。

【8分】

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