「子どもの声は騒音でない」
の法制化も含めた議論が巻き起こっていますが、
(ドイツで法制化の先例があるとのことで)日本だけの問題ではないのだと知って、ちょっとホッとしたような。
失望の中の、ちょっとの、ホッ、ではあるのだけれど。
ウチの前にも公園があって
平日の午前中には近隣の保育園の子どもたちが集い、
午後には学童や学校帰りの子どもたちが集い、
日中は福祉施設の方がたもいらっしゃるし、
もちろん、土日含めてちらほらの親子連れ。
みんな賑やかな声を出して、遊んでいる。
自分が子育て中だからか、
子どもの声や大人の声を含め、楽しそうに遊んでいる声を騒音と感じることはない。
日常的に子どもの声を聞いていて、慣れちゃってるからなのかな。
子どもたちがのびのびと外遊びをしている音、
いろんな人が都会の自然に身をおいてのびのびしている様子に、
平和だな、って思う。
公園っていいな、とか
こういう公園を保持してくれてありがとうって
行政とかお掃除してくれている近所の方々とか
そういうふうにも思う。
むしろ、「騒音」のように感じるのは、
子どもを「指導」する大人の声。
保育園やらの先生がたが、
子どもの整列を指導したり、遅れている子を叱ったり、
そういう声については、聞くに耐えない気持ちになることが少なくない。
言い方(どう聞いても、意地悪だったり嫌味だったり)、キリキリとした声の調子。
大人のわたしが聞いているだけで、胸が痛くなって、
言われている子どもたちの気持ちを思うと、具合が悪くなる。
もちろん、子どもたちの安全を気にして一生懸命頑張っている、ということはあるのだろうけれど
そんな言い方はないんじゃない?と思うような発言も時にあったりして、
(あまりひどい時は思わず覗き見をして、どの保育園なのかチェックしたりも…通報までしたことはないけれど)預けている親の気持ちを考えるとつらくなってしまって、
それで、思わず窓を閉めることはあります。
大人の声、指導者の声が気になるから。
親子連れでも、
子どもに対する親の発話・発言、そのボリュームや内容が聞くに耐えないなと、
窓を閉めることもあります。
それぞれの事情があるだろうから
なんとも口出しはできいないけれど。
大人の態度については、反面教師な部分もあり
自己反省もあり。
(子どもに対する大人の態度を客観的に見聞きすると、あああ、と気づくことがありますね。)
つまるところ
問題は、大人自身に、大人同士に、あるのでは?
というのが
公園騒音問題に対するわたしの個人的な気持ち。
代理戦争とでもいうか。
単純に、
子どもvs老人、とか
子ども有の人vs子ども無の人、とかはしたくなくて、
でもどうしたらいいのだろうな。
どんな人もみんな子どもだったんだよ、っていう
すごいシンプルなことのような気も、するんだけど。