いち&ママちゃんのどきとき会話日記 #-67 3歳児の世界観が伝わる5分。バナナの食べ過ぎでおさるになったら…?!

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子どもが持っている性格(性質、キャラ、その辺りをざっくりと覆うもの)って
お腹にいる頃から、生まれて、どんどん成長していく中で
どんどん明らかになってくるから、面白い。

「どうして、こんな…?」
と思うような発露があったとして、
それでも赤ちゃんだった頃の写真や動画を見てみると、
あ、一緒だ
あ、おんなじだ

というような表情や動きをしていて
なんら変わっていないことに気付いたりする。

我が家の第二子・次男(3歳)についていえば、
底抜けに明るい
陽気
ひょうきん
…わりとおとなしい顔立ちをしているので、そのギャップがすごい。

「いつからこんなんだっけ?」

というのがネタ化しているこの頃だけど、
赤ちゃんの頃の笑顔なんかは、
「あー、今もこの顔してるわー」
という感じだし、
とにかくハイハイしたりつかまり立ちしたり歩いたり…という過程が早かったこととか
そういうのもなんだかんだ、
面白い動きで笑いを取る、そんな身体を使った表現を早くしたかったんだろうなぁとつながってくる。

第一子・長男(7歳)についても、
赤ちゃんの頃は、泣くわ泣くわで、
夜泣きも3歳を迎えるまでは連夜。

育児ノイローゼになるかと(たぶんなってた)いうくらいにひどかったのだけれど、
言葉を豊富に操れるようになってからはぴたりとそのようなことが止み
代わって、
寝ても覚めてもしゃべっているくらいのおしゃべりに。
(寝ている時は、さすがに、寝ているか…)

何かと眉間にシワを寄せた表情が多いのだけれど
なんやかんやに不平不満を(流暢に)述べている時の顔は、まさに当時のままで、
険悪な雰囲気の中にも
こちらは吹き出しそうになるようなことがある。

愛おしい彼らの特徴。

この先、
いろんな環境にあり、いろんな経験をする中で、
そんな「キャラ」が変質するような出来事も
起こってくるのかもしれない。

例えば、

わたしの言動が与える影響は
日々のことで
計り知れないものがあるかもしれない。

子育てをしていると、
そんな恐れも抱いたりする。

この宇宙のような子どもたちに
私のようなちっぽけな大人が
何か作用していいものだろうか、と。

恐れを抱きつつ
でも一方で
次々と発露されていく個々の特徴を見ていると
私(たち)の影響をはねのけるくらいの強さ、みたいなものも感じたりして、
そう簡単に、
子どもたちが持って生まれた何かは、失われないのかもしれないとも、思う。

あるいは、そうであって欲しいと、期待をしている。

そう考えると
私も
あんなこと こんなこと
自分に「与えられた」と思っている家族や環境、様々な影響
考え悩み落ち込むこともあるのだけれど
もしかするときっと
その大部分は、
生まれた時からここにあって、常に共にあったものかもしれないな。

そうだとすれば、
自分の不器用さも、「残念」なところも、
すべて包んで運んでいる、
そんな自分を、大切にしてあげなくっちゃと思い至ったりもする。

「原因自分論」とかいう単なる諦めではなく
自分は、自分だ。
という、
諦めも似た、可笑しさ、愛おしさというべきか。

そして、

私だけでなく、私の子どもだけでなく、
ひとりひとりが、そうである。

みんな自分で生まれて
他者との中で触れ合いながら、影響を与えたり与えられたりしながら、
それでもなお自分で持っていた何かを膨らませて
どんどん自分になって
ずっと自分で生きていく。

子どもたちのキャラ的なものは、
これからも次々と発露していって
「こんなところがあるんだな」
「そうだったのか」
という驚きを、親の私にはきっともたらしつつ、
本人たちにとっては
そんなキャラ的なものと、
どうやって付き合って、どうやって生きていくのかという、
試練が始まるに違いない。

原因を外(親である私や、環境など)に求めたくなることもあるだろう。

そういう混沌をぶつけられ、
混沌とし、混乱する日が来るんだろうなと思いつつ
今は無邪気に
キャラとか、他者とか、環境、とかも何もなく
ただ自分(と、ごく身近な人)しかいない世界を生きている子どもたちを、
ただただ抱きしめていたい!

彼らの出発を、
他者であるわたしの
出来る限りの記憶に留めて。

【6分】

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