「造語」を想像するような脳みその柔軟性がすっかり失われている40代のかーさんです。
造語や想像力やなんていう次元でなく、最近は、
「やばい」
「まずい」
「すごい」
…これらにせいぜい「超」がつくくらい…
といった語彙力の狭さと品格の薄れが目立つ…
とほほ
喋っているだけでも頑張って生きていると信じたい。
「造語」といえば、なんというか「合言葉」「共通言語」みたいな面白さがありますね。
親密な間柄だけで通用するような、
仲間意識を盛り上げるようなものとでもいうか。
オットの家族は、夜寝るときの挨拶が
「おやすみんみん」
だったという話とかも、
なんかほっこり(?)するような。
ツーといえばカーみたいなことでしょうか。
現在小2男子がもっともっと幼かった頃、
「はさみでチョキチョキ切る」を勝手に省略して、というか、おそらくそれの動作を想像して、
「チョキる」という言葉を発明したこともありました。
「ママ、ここチョキって?」といった感じに。
最初は何のことかと思ったけれど、
その語感もすごくよいし、何より明確に伝わるので便利で、
家庭の共通言語となった「チョキる」。
そういえば当の本人はもう使うことはありませんが、
わたしは今でも時々使ってしまいます。
あとは、子ども独特の発音、というか、
今3歳(3歳になりました)のぼうやが、
「違う」を「ちだう」と言ってしまうのですが、
それもまた可愛くて&否定感が若干弱まるのが気に入って、
大人のわたしたちも何かと「ちだう」と言ってしまう。
「それ、ちだう」といった感じに。
こういう言葉は、家庭内であまりに浸透しているために、
時々外にいる時、他の人との会話でも、思わず出てしまうこともあり厄介ですが…
いつか子どもたちには、
「なにその言葉、変なの!」
と言われてしまうかもしれないけれど、
わたしは子どもたちが発明した言葉の数々を、忘れずに使い続けて行くのかなぁなんて、思います。
それにしても、
言葉ひとつとってみても、
「オリジナリティ」がある、というのは、何だか心地がよいものです。
そこに宿る誇りやよろこびがあるなぁと思います。
例えば「JK用語」なんていうのも、
そのオリジナリティ、所属感がうれしくて、語感もたのしくて、あれやこれやと使うんだろうな。
TikTokのコメント欄なんかを見ていても、
きっと顔も知らない他者同士なのだけれど、
同じアイドルが好きとか同じ動画を観て興奮しているとか、
そういう共通の認識の中で通用する「○○用語」的な言葉で溢れているもんね。
同じ言語でコミュニケーションする・できることの誇りやよろこびですね。
ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』の世界は、
国家から家庭まで。
ネットやSNSによって、より小さくて多様になっていくわけだなぁ。
研究したら面白そう。
…と研究意欲も空想の域を出ず、
研究者になるのは来世の夢かなぁ、と、
今日も日々の細々とした作業に追われ1日が終わります。
あ!いい加減、夕飯の買い出しに行かなくては!
さて、今回のラジオは、『しつもんブック100』から、#5「“クルクレイポン”って、なんだとおもう?」というお題でした。
‘‘クルクレイポン”は、もちろん造語(のようです)。
小2男子とアラフォーかーさんの会話は、バスケからパスタまで。
こういう唐突な会話も、面白いね!
みなさんは、なにを想像しますか?
【6分】