魔法が使えたらなぁ…
って、空想したことが、あるような、ないような。
いきなり質問を突き付けられると、案外と思い浮かばないものだ。
そう思うと、よく、こういった類の一問一答にがんがん対応しているタレントさんとかって、すごいよねぇ(事前に準備しているのかな)!
このあいだ、Vogueの「サラ・ジェシカ・パーカーのNYの自宅から73の質問。」という動画を見たのだけど、「いい影響を受けた本は?」とか「好きなダウンタウンのレストランは?」「フォローすべきアカウントは?」とかすごくテンポよく答えていて、感動。
女優さんとはいえ、準備していたとして…
なんというか、豊かな情報量があって、賢い選択があって、自分の心が整えられているのかなと感じられる姿でした。
わたしなんかグデグデだ。
そもそも答えられない質問もある。
人間(性)の豊かさとは、ありようとは、を考えてしまった。
…誰も聞いてくれないだろうけど、今度こっそりやってみよう、73の質問…
そして、答えられないものについて、自分を見つめてみることに、しよう。
ところで、今どきの子どもたちの視点は、社会的だなと感じることが度々ある。
今年の七夕でも、
「コロナウイルスがなくなりますように」
といった「願い」がほとんどを占めていた。
社会的、というか、
社会で起こっていること、子どもに望む態度みたいなものを、
スポンジのように吸収して、
鏡のように反映するというか。
コロナは、学校などの教育機関では、すみずみまでその内容や対策が行き渡っているから、
子どもとしてどう振る舞うかも、みんな黙々とフォローしているし(大人のように、「なんでマスクしなくちゃいけないんですかー?」「必要なくないですかー?」みたいなことはあまり起こらない)、
大人の姿、メディアが報じること、そういったことを敏感に受け取って、
純粋に、順応しようとしている。
コロナほどのインパクトはないにしても(残念ながら日本国内のメディアで、その他の社会問題的なことがコロナほど大々的にカバーされることはないのだ、例えば気候変動とか脱炭素とか、人権の問題とか)、
物を捨てようとすると「もったいない」とか「リサイクルする」とかそういう言動は自然に出てくるし、
道端に落ちているゴミが「こんなところに捨ててはいけないものだ」ということも、知っている。
泣いている子に声をかけるようなことも、慰めるようなことも、
あるいは、個性のある子を、ただ、そうである、と受け入れるようなことも、
子ども同士は自然にできていたりして、本当にすごいなと思う。
いつか子どもだった大人は、
いつどのタイミングで、そういうことを忘れてしまうのだろう??
あるいは、
超個人的であるはずの子どもの方が社会的で、
社会的になっていくはずの大人が、利己的になっていくのは、どういうことなのかな。
個人が確立されているから、社会を認識することができるのか。
社会に埋没してしまうから、個人を確立しようと躍起になるのか。
…というわけで、
「ひとつだけまほうが使えるとしたら?」の質問にも、
社会的な回答をした息子(小2)と、
個人的な回答をした母(アラフォー)でありました。
どっちがいいも悪いもないのだろうけれど
ハッとする、その気持ちや違和感は、何かを考えるきっかけになる。
子どもと会話をするのは、面白い。
【4分】