2歳も最終月!のぼうや。
ちょうど1年ほど前の区の健診で、「言葉の発達が遅いかもしれません、あと2〜3ヶ月様子を見てみて、また相談をしましょうか」と言われ気を揉んだ…
のは、もう遠い過去のように…
最近では爆速で単語を覚え、接続詞を覚え、
いわゆるなんだ仮定法?条件法?的な言い回しを覚え。
お兄ちゃんが怒られている現場を見ては、
「いちは、なんで怒られてるの?いちは、ベイビーなの?」
と「煽り」行為まで活用する始末。
…頼むから、火に油を注ぐのは、やめてちょうだい!
と、思わずその小さな口をふさぎたくなることも…。
まだまだ気持ちに言葉が追いつかなくて
やきもきして泣いてしまうこともあるけれど
「気持ちに言葉が追いつかない」
のは、案外大人になってもままあることでもあって、
そんなもどかしさすら、もはや共有できるんだなということに、
感動を覚える。
小さな頃から保育園に通っていて
言葉を発さない時から、
家族以外の子どもや大人に囲まれていることもあってか、
言葉がなくても、
態度で自分の気持ちを表したり お友だちの気持ちを慮ったり
先生の言っていることをわかろうとしたり、
真似をして習得していく、というプロセスも含めて、
コミュニケーションの基本や語学習得のスキルがその集団生活の中で培われている感じが生き生きと伝わる。
新しい言葉を果敢に使おうとする姿勢も、
頼もしいし、面白い。
子どもに対して、これといった「教育」は何も与えられていない親ですが(自分のことで手一杯…)、
日常の会話を少しずつ大切に、会話・対話を通じてできることをしよう、と思ってきたのは、
初めての子育ての時に出会ったサリー・ウォードさんにフォローしていることでもある。
1日30分でいいから、子どもと静かな環境で、落ち着いてゆっくり会話をしてみよう、というようなアドバイス。
その時間が、子どもの言葉の発達にも精神の安定にもつながっていく、と。
…いや、その30分を確保するのが、難しいんですけれどね…
正直、1日30分なんて到底達成不可能で、1週間に30分でもできたらいいくらい。
…現実って!!
特に、第二子以降ともなると、なんやかんやとバタバタして、
家の中には常に同時に複数人の子ども(我が家の場合は2人ですが)がいたりもするわけで、
「あれ、なんかこの子と対面でじっくり話したことって、ここ最近、あったっけ?」
状態に簡単に陥ったりします。
だからこそ
時間の長さにこだわらず、
一瞬でも、それが1分でも3分の会話でも、
ちゃんと目を見て、耳を傾け、言葉を返す。
…ことが、したいし、できてたら、十分なんじゃないかなぁ。
いいんじゃないかなぁ。
あくまで、いいんじゃないかなぁって、気がするだけだけれど。
サリー・ウォードさんが意図するような「子どものため」になっているかどうかはわかりかねますが(!)
少なくとも親であるわたしにとっては、
子どものシンプルな言葉づかいが心に染み込んで、
栄養が注入されて、
子どもの少しずつの変化や成長を感じる、
とてもとてもありがたい儀式のような時間になる。
わたしがその短い時間に集中して愛しんでいることが
息子に伝わっていたらいいと思う。
空気として。
愛している、という直接的な言葉でなくて、
愛している、という空気感として。
1日に、1分でも、3分でも。
結局のところ、わたしにとって、子育ては自己満足なのだ。
【5分】