わたしはわたしを記録することにした。

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なにかクリエイティブなことをしたいなと思うけれど
なにか感性的にすばらしく生きた証みたいなものを残したいなと思うけれど

どうやらそれは自分にとって生業にできるようなものではなさそうで、
その欲求と現実との間をうろうろとしてきた。

うろうろしている間に
40代になってしまって、
時を同じくしていわゆる「キャリア」みたいなものも手放してみたり、
コロナがやってきたりもして、
自分の選択に失望したり、自分の未来に絶望したり。

振り返ると、「もう若くない」けど、先を見ると、「まだ若い」。

ただ漠然とした無気力がそこにあるけれど
自動運転でやり切るには経験値も足りなくて、
ひたすら悩み落ち込んでいたいけれど
ごはんをつくって食べさせるくらいの責任はあって、
なんだかんだと規則正しく生きている。


自分の人生の「思ったより大したことできなかったな」という壮大さへの諦めと、
「思ったよりいい感じかもしれないな」という日常への満足と。

40代に入りたてのひとりの女性として経験するたくさんのさまざまな揺らぎ。

歩むほどに、
「人生のもっともうつくしいとき」から
ただ遠ざかっていく、
ただ無くなることへ続く道を、時間を、
わたしはこれから
それでもどう歩んでいくのだろう?

心や身体が揺らぐ。
ますますに、アンビバレントな毎日。

ふとそういう話を誰ともしたことがないなぁと思うし
誰ともできるわけでもないなぁと思う。

そういうストーリーの本も映画も漫画も音楽も
あんまり知らないけれど、それはなんでなの?

存在しないのか、
隠れているのか、
見つけていないのか。


そんなことを考えているうちに
そんなことを考え続けていることや
こんな狼狽、こんな有様そのものが
滑稽で愛おしく思える瞬間があり
その瞬間が、
今ここにあるわたしの感性が、
そのときどきのうつくしいときのような
気がしてきたわけなのです。

有名でも無名でも
ひとりの人が生きるということは
芸術のような
エンターテイメントのような

作品そのもののような

だからわたしはわたしを記録することにした。

価値があるとかないとか
大したことがあるとかないとか
そんなことはおいておいて
わたしは未知のわたしに出会い、記録することに、
没頭する。

好きな言葉で、
声で、写真で、
…他にもなにか、
いいなと思ったらなんでもいい。

いつかの自分の楽しみに
願わくば
いつかの誰かの慰みに。

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