新学期、クラス替えとともに担任の先生が誰になるかっていうのは最重要トピック。
「学校には友だちに会いに行っている」「学校の勉強はきらい」
な息子にとっても、周囲に関わる「人」が誰なのかというのは、最重要というか最難関というか、
もはやそれがすべてなので、本人も親もちょっと構えて待っていた。
小学2年生の時にはその意味でよい経験ができず、
ほとんど絶望的な気持ちになっていたところ、
小学3年生では「これが同じ学校?(公教育?)」と思うような前向きな時間をすごすことができて、
「人」の力、
ちいさな子どもたちを率いる先生、担任の先生の力、というものをすごく感じたので、
様子見の状態でこの春を迎えたという経緯がありました。
今のところ…
どうかな?
その間に、息子は心身成長し、
世の中にはいろんな人がいること、いろんな大人がいること、
その中で自分とは?
というようなことをたぶん少しずつ感じ取って
同じような境遇にあるとして、受け取り方も振る舞いも、少しずつ変わってきているようにも見える。
だからこそ
どのくらいの成長の時期に
どういう人と一緒にいるのか
というのが
子どもの社会との関わり方にすごく影響するとも、改めて思う。
影響を受けやすい敏感な時期に
どうか意地の悪い、大人の論理だけで動く人に囲まれて
自分を見失ってしまうような
ダメだと諦めてしまうような
そんな時間だけは、どんな子どもにも過ごしてほしくないとも、思う。
それでも、子どもは逞しく生きるものだと、
どんな環境にあっても、賢い子は賢く、強い子は強い。
そういうふうにいわれることもありそうだけれど、
それは、それも、そう信じたい大人側の論理なのじゃないかな。
賢く、強く、生きていってほしいという、願望というか。
親として大人として
自分にできること、できないこと。
感じながら、少しずつ大きくなる背中を送り出す、毎朝。
ところでラジオは他愛もない給食の、話!
そうやって日常は、気を紛らわせながら、集中できることを探しながら、
そう、自分だけのお宝はなんなのか?探しながら、過ぎていく!
【9分】