コロナにより失われている時。
この2年、「あっ」という間に時間が経ち、
季節感とかあんまりないままに過ぎ去っていくように思う。
多くのみなさんが、そういう気持ちなんじゃないかなと思う。
(いろんな人と話していても、そういう声をよく聞くので。)
それってつまり
季節感って、イベントに紐づいてたんだなとか。
季節感って、人と集うこと、語らうこと、みんなでその時々の食事や雰囲気を楽しむこと、
季節感って、ひとりでも、だれかとでも、休暇をとってどこかへ出かけること…
そういうことは何かっていうと
日常の流れを少しだけ止めて
他人とか他の地とか、または、過去とか未来とか、
そういうものとエネルギーを交換して
何かハッとする体験をするというか。
リセットするというか。
リセットすることで、
立ち止まることで、
わたしは時間の流れを感じて、それを愛おしみ、
そうしてまた始まる月日を暮らしていたんだなと気づく。
コロナになってから、
かなり、かなり意識しないことには、
日々の淡々とした、粛々とした流れを、止めることはできない。
自分の中でぐるぐる回る思考や悩みを、止めることはできない。
もちろん、
ある種の「穏やかな」日々は、
それはそれでよい面もある。
いや、よい面は多いのかもしれない。
わたしや我が家は、コロナ以前、
「このまま回り続けて、進み続けて、一体どうなってしまうんだろう?」
というスピード感と濃度で暮らしていたところもあって、
正直なところ、コロナによって「できなくなってしまったこと」「変えなくてはならなくなったこと」のおかげもあって、
いろいろと見直したこと、捨てたこと、変えたことは多く、
それによって「よくなった」こともある。
例えば、
家族そろっての夕食、
とかね。
でもやっぱり、
どちらのありがたみも知ったところで、
イベントごとをイベントごとらしく楽しむことの楽しさが恋しくもあり
それが暮らしや人生を彩っていたことをまざまざと実感する。
コロナの長引く世界において。
この年末年始、オミクロン株の不安もあるなか、ではあったけれど、
実に2年ぶりに、両家の実家を渡り、それぞれの兄弟や家族にも会って、
賑やかに、というほどの規模でも内容でもないけれど、
穏やかに、だけれども楽しく、過ごしました。
年齢一桁台の子どもにとって2年というのはとても大きく、
前に会ったときには、喋りもせず、立ちもせず、ご飯も食べず、だった子が、
よく喋り、走り回り、チョコレートなんてものまで食べ…
一方で、わたしの父母たちの世代にとっても2年は大きい。
しばらく会わなかった間に、ぐっと状況や様子は変わってくる。
嬉しい変化、切ない変化。
時はどんなときも流れていく。
会える時に会う。
会いたい時になかなか会えないことを超えて、
会える時に会うというのもまた大切なことだなと思う。
2022年は少しずつ、イベントごとを楽しみ、
非日常を取り入れて、
自分たちをよくよく見つめ直して、よくよく愛し直すことのできる時間が持てたらいいな。
今回のラジオは
久しぶりに「お正月らしい」お休みを満喫したぼっちゃんの、
年末年始の思い出ベスト3です!
【7分】