「スポーツ」とわたし(東京五輪記念)

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なんだかんだと「東京五輪」も開幕したので、わたしも「スポーツ」に思いを巡らせてみる。

スポーツと、わたし。
それは、闘争から和解、そして共存へと、発展段階にある関係性。


今でこそ、自分の「趣味」を紹介する時に、「ヨガ」「ジョギング」といったりする。


いかにも、意識高そう!健康そう!

そう、わたしは意識も高いし、健康でもある。


…あくまで自己評価でドヤっていても仕方ないのですが、
ヨガもジョギングも20代から始めたアクティビティだけれど、
どちらも好きで、ずっと続いている。

身体を動かして、
身体と心をつなげて、
自分の、動物的な機能だったり衝動だったりに触れられる。

そこにある解放感。

スポーツとは、
自分にあったものを、自分のペースで取り組むことができれば、
すこぶる爽快で、生きていることに喜びを感じ、今日という日に感謝の念を抱くことのできる、
すばらしい機会そのもののこと。

たぶん、子どもの頃から身体を動かすことに慣れ親しんでいる人にはあまりわからない感覚かもしれないが、
わたしは大人になってからスポーツと「和解」したクチなので、
今でも、走ったあとなどに、しみじみとそういうことを思います。
そうして、しみじみと感謝しています。

多くの人にとって「スポーツ」をカテゴリーとして認識して、
そのエントリーポイントになるのは、きっと学童期や思春期。


その頃のわたしは、家庭環境的にスポーツは身近になく、
自然発生的に興味を募らせることもなかったので、
スポーツ=学校教育における「体育」で。

その「体育」こそ、わたしの「嫌い」が詰まった教科だったので、
体育=嫌い、運動(スポーツ)=苦手、という意識がずっとあって、
スポーツは、自分には関係のない、縁遠いことだとずっと思い込んでいた。


「体育」の何が嫌いだったか?


嫌な点を挙げれば、いくらでも並べることができる気がするけれど、
感覚的には、「こわい、きつい」。
論理的には、
・目的が示されずわからず、
・目標(数値)のみが示され(1,000mをXX分以内、とか、「側転ができるようになる」とか)
・具体的なアプローチ方法の指導もなく、
・結果、「根性(頑張り抜く力)」以外に何かを得られた経験がない。

「目の前にそびえ立つ跳び箱を、どう飛び越えろと?」(こわい)
「この炎天下の中、グラウンド10周?つらい…」(きつい)

実際のところ、わたしの教科としての「体育」の成績自体は、
可もなく不可もなく、という感じではあったけれど、
不幸にも、わたしの経験してきた「体育」の授業は、
「生まれながらの身体能力をもってでたとこ勝負」でしかなかったので、
自分のスポーツ領域における発展性に気づかなかったし、気づけなかった。



付け加えると、「体操服」「紅白帽」というデザインの気に入らない服を着せられて
(時代的には、「ブルマ」なんてのも着用経験あり、屈辱以外の何ものでもない)、
没個性に整列させられる感じも、わたしは心底嫌だった。

「体育って、運動って、自分には合わないな」という感覚だけがそこにあって、
どうやったら「好き」になれるのかもわからないまま、
青春時代を終えたわけだった。


そんなわたしが、「体育」でない「スポーツ」的なもの、
エクササイズ的な楽しみに目覚めたのは、
社会人になって、典型的な新卒社員のライフスタイルで、毎日働き詰めで…
自然と、「身体を思い切り動かしてみたいな」と思ったときだった。

そうして、自分に合いそうなものは何かなとあれこれ情報収集をして始めたのが、
ヨガやジョギング。
(ヨガは厳密にはスポーツではないけれど、スポーツ的な要素もある、ということで。)

そこで初めて、「身体を動かしてリフレッシュする」という感覚を味わい、
冒頭に書いたような、
健康であることや、生きる喜びに直結したような感覚を得ることができるようになり、
スポーツという世界のよさを知ることができた。

自分のその時の心や身体の状態に向き合って、
自分の内と外とを常に行き来しながら、
例えクラスで一斉にやっていても、自分のペースで、遅れたって、休憩をしたっていい、ヨガ。

わたしは力強さが必要な動きは苦手だけれど、柔軟性があって、いろんなポーズができる。

例えば、「マット運動」では感じ得なかった、自分の身体機能への自信。
いつまで経ってもできないことがある自分への可笑しみ、愛しみ。

自分のその時の心や身体の状態に向き合って、
好きな音楽を聴きながら、
景色を眺めたり、考え事をしながら、走る(時には歩いたっていい)ジョギング。

わたしは速く走ることはできないけれど、じっくりゆっくりであれば、長く走ることができる。

例えば、「持久走」では感じ得なかった、自分の体力や気力への自信、今度はどこを走ろうかという楽しみ。

そもそも、当時の「体育」の考え方やあり方が、
「スポーツ」とは異なるものなのかもしれなかったけれど、
少なくとも、公教育として、健康な心身を育てようというつもりはあったはずだと思う。


なぜなら、
自分たちがこれから何十年も生きていくうえで、ずっと共にある身体、心とつながっている身体を、
どう動かすのか。どう楽しむのか。
それができるとき、どういう喜びがあるのか。
を知ることは、すべての人にとって、大切なことだから。

そういう大切なことに気づくチャンスが、
身体の発達する時期、
自分の運動との唯一の接点であった「体育の現場」にも、あったらよかったのにな、と思う。

それは自分をよく知り、自分とつながる方法のひとつだから。


そうして、スポーツは、
優れた身体能力が備わった人のものだけでなく、
すべての人が、その人なりの方法で、実践し続けていって、よいものだから。


例えば!
わたしがこれからやってみたいスポーツリスト:
テニス、サーフィン、各種ダンス、ボルダリング、乗馬、合気道、空手…


スキーもきれいに滑れるようになりたいし、
水泳も生活に取り入れたい。



いつ始めてみようか?


体力や筋力が衰えても、
俊敏さがなくなっても、
親しんだ、または、まったく新しいスポーツに取り組むとき、
自分は何を感じるのか?身体はどう反応するのか?どんな変化を経験するだろう?


そこにあるのは、自分に対する好奇心。


そうして、その時々の身体とともにあることを楽しもうという気持ち。



どうだろう、スポーツのことを考えるだけで、
まだまだ、欲張りになれるのは、なんだか先行き明るいな?



ところで、今の「体育」の現場は、どうなっているのだろうか。
気になる。

あれから、30年とか、経ってさ。


とりあえず、子どもらをみていると、
「体操服」「紅白帽」は、令和3年の現在も、あまりに日常ファッションとかけ離れたデザインで、
選択の自由なく、着せられているけどな…(しかも、結構高い値段で買わされる。)


嫌な予感がしなくもないけど・・・

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