「アナザーエナジー展」の感想。

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6月、緊急事態宣言が明けた最初の週末に、森美術館で開催中の
「アナザーエナジー展 挑戦しつづける力 ー世界の女性アーティスト16人」
に出かけてきました。

女性として生きること
老いていくこと
老いてなお死ぬまで生きていくこと

の問題意識下にあるわたしにとって、
全員70代以上の世界各地の女性アーティストに焦点を当てた展示会というのは、
興味しかなかったし、期待もしていた。

人生の先輩に直接会いに行くような。
作品と話ができるような。

それで、こころをやわやわにして、コロナ以来久しぶりの美術館に飛び込んだのでした。

アナザーエナジー展のAnotherが、何に対して、誰に対してのAnotherなのか?


展示会を貫くコンセプトだけれど、解釈の「正解」はよくわからない。


わたしは彼女たちのアーティストとしての評価を実際よく知らないし、
彼女たちの生き方自体も女性であることで一括りされるようなものでもないだろうから、
いわゆる「(男性優位の資本主義市場やアカデミアやそういったシステム…といった)本流」に対して、
なのかどうかはわからない。

ただ、展示されていた作品とともに、
彼女たちのプロフィルやメッセージからわたしが受け取ったのは、
彼女たちは、女性として、物理的・精神的・経済的・社会的に与えられた条件、環境、そこにある物事、
そういったものに図らずも受容的・受動的であった経験を通じてなお、
力ずくで争うというよりは、
自分のやり方で、自分の大切なものを守り、
エネルギーを注ぎつづけて朽ちないでいる。


その態度、ありようを、「女性性」と呼ぶのであれば、
それが共通項であり、
「本流」に対する「Another」なのかもしれない、いうこと。


どっしりと、長く。
しなやかに。
生み出す。
守る、育む。
開く、感じる。
つながる、分かち合う。

いま、ここにいる。
いま、ここにあるものを見つめる。


例えばコロナウイルスのように、
いま突然に現れた疫病という状況・条件について、
誰もが受容的でなくてはならない(ある一定の人たちにとっては、まさに「初めて」かもしれない)経験について)、
誰もがそういった「女性性」の特徴を備えることがひとつの立ち向かい方になる、
というヒントでもあるのかもしれない。

同時に、自分の感性に正直であり続ける、
そのことが、
結果的に、「自分」という自分にとってもっとも身近な制約からも自分を解放し、自分を自由にする。
というメッセージも受け取りました。


自由であるからこそ実践できる愛とか。


老いて、重たくなる足取りと相反して、
自由の羽が生えていたらいい。


子どもたちを連れて観に行ったので、
じっくりと見入ったり、感じ入ったりすることはできなかったのだけれど、
そのリアルも受容して、今をすべて受け入れて、
それでも、わたしも火をたやさぬよう。


ゆっくり、長く、エナジーをつなぐ。

そんな駆け足の鑑賞で、気に入った言葉や作品をいくつか、メモ:

自分を見つけることは、自分を忘れることと変わらない。

ーKim Soun-Gui(キム・スンギ)

私は長い間待っていました。「バスを待っていればやがて来る」という言葉がありますが、私はバスを1世紀近くも待ってようやく来たのです!

ーCarmen Herrera(カルメン・ヘレラ)※作品が評価され始めたのは90歳の頃

いつも制作している人がインスピレーションを待つのはナンセンス。未完成の作品は、明日またとりかかる。つくり続ける。人生と一緒。

ーArpita Singh(アルピタ・シン)

「無題(木々)」
外国語で詩を書く、言語の不十分さを独学の絵画で補った作品。
ーEtel Adnan(エテル・アドナン)

「パフォーマンス・ピース」
新品ではないストッキングに砂が入れられ、四方八方に引き延ばされた作品。
砂の重みで引き延ばされた形は身体の伸縮性を表現。
“妊娠や年齢、または外部からの力や暴力などによって身体は変化し、それは私たちの生の形を表します。”
ーSenga Nengudi (センガ・ネングディ)


アナザーエナジー展の会期は、9月26日(日)まで。詳細は、
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/anotherenergy/index.html

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